高山地方は本居宣長
それでも旅人の姿が全く絶えるほどの日はなく、雪もさほど深くはない。中津川より下呂(げろ)まで十二里である。その間の道が困難で、峠にかかれば馬も通わないし、牛の背によるのほかはないが、下呂まで行けばよい温泉がわく。旅するものはそこにからだを温(あたた)めることができる。下呂から先は歩行も困難でなく、萩原(はぎわら)、小坂(おさか)を経て、宮峠にかかると、その山麓(さんろく)に水無神社を望むこともできる。なお、高山地方は本居宣長の高弟として聞こえた田中大秀(おおひで)のごとき早く目のさめた国学者を出したところだから、半蔵が任地に赴(おもむ)いたら、その道の話相手や歌の友だちなぞを見つけることもあろうと書き添えてある。
出発の前日には、平兵衛が荷ごしらえなどするそばで、半蔵は多吉と共に互いに記念の短冊(たんざく)を書きかわした。多吉はそれを好める道の発句(ほっく)で書き、半蔵は和歌で書いた。左衛門町の夫婦は別れを惜しんで、餞別(せんべつ)のしるしにと半蔵の前にさし出したのは、いずれも旅の荷物にならないような、しかも心をこめたものばかりであった。多吉からは黄色な紙に包んである唐墨(からすみ)。お隅からは半蔵の妻へと言って、木曾の山家では手に入りそうもない名物さくら香(か)の油。それに、元結(もとゆい)。
