小さな流れであるが
木曾路にはいって見たホルサムはいたるところの谷の美しさに驚き、また、あのボイルがいかに冷静な意志と組織的な頭脳とをもってこの大きな森林地帯をよく観察したかをも知った。ボイルの書き残したものによると、奈良井と藪原の間に存在する鳥居峠一帯の山脈は日本の西北ならびに東南の両海浜に流出する流水を分界するものだと言ってある。またこの近傍において地質の急に変革したところもある、すなわちその北方犀川(さいがわ)筋の地方はおもに破砕した翠増(すいぞう)岩石から成り立っていて、そしてその南方木曾川の谷は数マイルの間おもに大口火性石の谷側に連なるのを見るし、また、河底は一面に大きな塊(かたまり)の丸石でおおわれていると言ってある。木曾川は藪原辺ではただの小さな流れであるが、木曾福島の近くに至って御嶽山(おんたけさん)から流れ出るいちじるしい水流とその他の支流とを合併して、急に水量を増し、東山道太田駅からおよそ九マイルを隔てた上流にある錦織村(にしこうりむら)に至って、はじめて海浜往復の舟絡を開くと言ってある。御嶽山より流れ出る川(王滝川(おうたきがわ))においては、冬の季節に当たって数多(あまた)の材木を伐(き)り出す作業というものがある、それはおもに檜(ひのき)、杉(すぎ)、栂(つが)、および松の種類であるが、それらの材木を河中に投げ入れ、それから木曾川の岩石のとがり立った河底を洪水(こうずい)の勢力によって押し下し、これを錦織村において集合する、そこで筏(いかだ)に組んで、それから尾州湾に送り出すとも言ってある。ボイルの観察はそれだけにとどまらない。
